ヒッピーは今も存在するの?イビサ島のヒッピー文化に迫る
明るくて自由な時代の象徴ヒッピー。
もともとは、伝統や古い制度など縛られることを否定したムーブメントで、自然の中で
共同生活を営もうとする平和思想だったんですね。
それをお金儲けに利用しようとする人々が出てきたり、ヒッピー文化はエゴイスティックで不健康なものに変わっていってしまいました。
ヒッピーが生まれたのは1960年代アメリカ。
サンフランシスコの「ヘイト・アシュベリー」と、ロサンゼルスの「ローレル・キャニオン」がヒッピーが共同生活を始めた最初の場所だと言われています。
その後アメリカ全土に広がりを見せたヒッピーは、全世界へと広がっていきました。
イビサ島にヒッピーが入ってきたのも60年代。
1930年以来、イビサは権威主義体制から逃れてきた芸術家たちにとっての安息の地になってました。
そんな平和で文化的な島に、ベトナム戦争から逃れたい多くのアメリカ人が入ってきたんです。
ヒッピーマーケットや野外イベントなどで、ヒッピー文化がまだ息づいているイビサ島ですが、本当のヒッピーはまだ存在するのでしょうか?
イビサ島ヒッピーの歴史
イビサ島にヒッピー文化が訪れた60年代、その活気によって観光業が発展しました。
イビサ島が、ヨーロッパのサンフランシスコと呼ばれたのもこの時期で、多くの髪の長い芸術家や作家が住んでいました。
ヒッピーの集会場はアイヴィサ、サン・ジョアン、サン・カルロスで、1970年代には有名クラブPachaやAmnesiaも登場しました。
これらクラブの影響もあり、ヒッピー文化はイビサ島に強く根付いたんですね。
エス・カナルのヒッピーマーケットは1973年からスタート、今でもサマーシーズンの毎週水曜日に開かれています。
リアルなヒッピーはイビサ島の北側に
初期のころのヒッピー生活を楽しんでいる人々は、イビサ島の北側に住んでいます。
ジャムセッションを行ったり、お茶を飲んだりとコットンや麻の服を着て、夕方には楽しそうに踊っています。
自由な精神を持ち、健康的に生活しているんですね。
一方、イビサのヒッピー文化は商品化され、多くのヒッピー愛好者が富を得ている側面があります。
それを文化の発展と呼ぶか、ブランド化された商品と見るのかは、あなた次第です(笑)
露店や市場で高価な品物を売りつけられた経験がある人にとっては、ヒッピーはもうファッションでしかないのかもしれませんね。(私か?)